孫娘が水島愛子先生に指導していただいている。
孫娘も息子が教えを受けた才能教育の先生に教えていただいていて、その先生の勧めで水島先生のレッスンも受けうことになった。
最初のレッスンを息子がヴィデオに撮ったものを、息子の車の中で見て、びっくりした。突如、学生時代に当時N響に在籍しておられた小林美隆先生から受けたシンバルのレッスンのことを思い出した。というか、両腕の上腕部の筋肉がその時のことを思い出した。
小林美隆先生の小太鼓のレッスンには定期的に通っていた。しかし、シンバルの教えを受けたことはなかった。ある夏の全国大学オーケストラ連盟恒例の合宿に、トレーナーとして来ていただいた折、練習の合間にダメ元でお願いした。
10分程度だったろうか、練習場のパイプ椅子に座られた美隆先生の前で、メゾフォルテでシャンシャンシャンとシンバルを叩く。先生はずっと少し首を傾けたまま。その間に、確か3発だけ、微かに頷かれた。
それだけ。
それだけで、ぼくのシンバルの叩き方が全く変わった。まあ、手前味噌だけれど、それ以降、ぼくのシンバルの音は劇的に良くなった。レッスンの時に美隆先生と言葉を交わした記憶は全くない。しかし、美隆先生が頷いてくださった3発を、両腕の上腕が覚えていた。
のちに、若杉弘指揮で藤響がトゥーランドットをやった時、エキストラに来てくれていた桐朋学園の打楽器科の学生にその話をしたら、「小林先生からシンバルを教えてもらったなんて」と心底羨ましがられた。
近くの大学に併設されている音楽教室に通っている。下手くそなピアノだけれど、レッスンを受けると確実に何かが変わる。それが楽しくて懲りもせずに通っている。水島先生のレッスンのヴィデオを見てから、そのピアノのレッスンの受け方が変わった。自分でさらっていてうまくいかないところを、じっくり見ていただく。時には、一小節だけで終わってしまうこともある。
今をときめく藤田真央のインタビューを聞いたことがある。彼の恩師の野島稔のこと。当時、すでに現役を引退して音楽大学の学長になっていた。藤田が何か用があって野島の研究室を訪ねたら、ピアノをさらっていた。邪魔してはと思い、時間を空けて30分ほど後にもう一度尋ねたら、野島はまだ同じところをさらっていた、という。いい話だと思った。
孫娘が水島先生のレッスンを受けるようになって程なく、水島先生のお弟子さんたちの小さな発表会が、本郷であった。水島先生が小学生のころ、福永陽一郎さんの指揮で藤響とコンチェルトを演奏したことがあると仄聞していたので、懐かしくってぼくも発表会に顔を出した。その時はほとんど言葉を交わすことができなかったが、後で息子から水島先生がゆっくり話したいとおっしゃっていた、と聞いた。
孫娘が出る湘南原楽団の演奏会を聴きに行った。
右腕の動かし方が他の生徒さんたちと明らかに違っていた。
6月になって、やっと水島先生とランチをご一緒することが出来た。大磯迎賓館。
話題は尽きなかった。水島先生と福永さんや藤響との接点があった時期は、ぼくが関わるようになる少し前。1960年代の後半。それでも、幾人も共通の知人がいたし、何よりもあのころの藤沢や鎌倉の音楽文化みたいなものが思いだされ、時が経つのを忘れた。
食事を終え、水島先生をお宅にお送りした後、孫娘が竹澤恭子が弾くブラームスのヴァイオリン協奏曲を流し始めた。指揮はコリン・デイヴィス、そして、オケがバイエルン放送交響楽団。食事の時、水島先生が「私も弾いていたわよ」とおっしゃった録音だった。
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