最近、ショスタコーヴィチの《チェロ・ソナタ ニ短調 Op.40》に取り組んでいます。
これまでにも何度か弾いたことのある作品ではあるのだけれど、あらためて、この作品がどのような背景で書かれ、どのような演奏家たちによって受け継がれてきたのかを少し調べてみることにしました。
調べ始めると、作品そのものよりも、それを演奏してきたチェリストたちの系譜のほうに興味が向いていきました。特に「ダニール・シャフラン」ですね。その録音音源との出会いは、ぼくにとって思いがけない収穫でした。
ショスタコーヴィチの《チェロ・ソナタ ニ短調 Op.40》は1934年の作品です。若きショスタコーヴィチが《ムツェンスク郡のマクベス夫人》の成功によって名声を確立しながらも、まだ後年の政治的圧力や苦難に直面する以前の作品です。そのため、このソナタには後年の交響曲に見られる重苦しさよりも、若々しい抒情性や機知、そして、ロマン派のニュアンスも感じることができます。
そして、本稿の主題です。この作品を語る上で興味深い三人のチェリストの存在について紹介しましょう。

ヴィクトル・クバツキー
まず最初の人物が、《チェロ・ソナタ Op.40》の献呈を受けたヴィクトル・クバツキー(1891–1970頃)です。クバツキーはロシア帝政末期からソ連初期にかけて活躍したチェリストで、モスクワ音楽院でも教鞭を執っています。現在ではあまり知られた存在ではありませんが、1930年代のソ連を代表するチェリストの一人であり、ショスタコーヴィチとは親しい友人関係にあったようです。
彼は1934年12月25日、本楽曲の初演でチェロを担当し、ピアノはショスタコーヴィチ自身が演奏しました。さらに後年にはチェロパートの校訂にも関わっており、この作品は単なる献呈作品ではなく、二人の創造的な協力関係の中から生まれた作品だったと考えられています。
残念ながら、今回の調査ではヴィクトル・クバツキーによる《チェロ・ソナタ Op.40》の録音を見つけることは叶いませんでした。調べてみると、クバツキーについてはこの作品に限らず、演奏家としての録音自体があまり残されていないようです。
初演者であり、ショスタコーヴィチの友人であり、さらにはチェロパートの校訂にも関わった人物でありながら、その演奏を今日ほとんど聴くことができないというのは、なんとも残念なことです。

画像)ぼくが、学んでいるEdition Petersの楽譜にも for Victor Kubatzski との記載があります。
実のところ、Classiiにも現在クバツキーのアーティストページは存在していません。データベースを構築している立場としても、このような人物に出会うと、まだまだ、データ化されていない対象が数多く残されていることを実感します。
もしクバツキーの録音や資料、あるいは詳しい情報をご存じの方がいたら、ぜひ教えてください。
彼が初演したショスタコーヴィチの世界がどのようなものだったのか、一度は聴いてみたいものです。
ダニール・シャフラン
次に登場するのがダニール・シャフラン(1923–1997)です。
レニングラード生まれのシャフランは、14歳で全ソ連コンクールに優勝。神童と称され、その後はソ連を代表するチェリストとして活躍しました。ロストロポーヴィチと並び称されることも多いですが、その表現の方向性は大きく異なります。
そして、これが、今回最大の気づきですが、1956年にシャフランはショスタコーヴィチ本人のピアノによる《チェロ・ソナタ Op.40》の録音を残しています。これは現在でも極めて貴重な歴史的記録であり、ぼくも今回初めて聴くことになりました。
実際に聴いてみると、その演奏はロストロポーヴィチの録音とはだいぶ印象が異なります。
ロストロポーヴィチの演奏が力強く、推進力に満ち、大きな建築物を築き上げるような演奏だとすれば、シャフランはより抑制されたテンポで、一つ一つの場面を丁寧に描き出していく。まるで、絵画を描くような演奏だと感じます。
とりわけ印象的なのは、チェロとピアノの関係です。
シャフラン盤では、チェロとショスタコーヴィチのピアノが単なる独奏と伴奏ではなく、舞台上の登場人物のように会話しており、かけあいのようなやりとりを感じます。音楽の背後からセリフが聞こえてきそうなほどです。
また、ときにはピアノが舞台装置となり奇妙な風景を描き出し、その中でチェロがかけずりまわり、セリフを語る様子が想像されます。
まるで舞台劇を観ているような感覚です。
また、この演奏からはショスタコーヴィチ特有のユーモアや諧謔が鮮やかに浮かび上がります。ときには滑稽で、ときには不気味で、現実と幻想が入り混じるようなシュールレアリズム的な奇妙な世界です。
この録音ではピアノをショスタコーヴィチ自身が担当しています。もちろん、作曲者自身の演奏が唯一の正解というわけではありませんが、この録音に刻まれたテンポ感や対話のあり方、そして作品全体を包む独特のユーモアや色彩感は、作曲者自身が共有し、受け入れていた世界であることは間違いありません。
その意味で、この録音は単なる名演奏ではなく、ショスタコーヴィチという作曲家の感性を直接垣間見ることのできる貴重な記録だと言えます。ぼくは、これまでこの作品をロストロポーヴィチの録音で聴いており、大きなドラマとして捉えていました。しかしシャフランとショスタコーヴィチによる録音を聴くことで、この作品の中に潜む繊細な会話や演劇性、そして若きショスタコーヴィチらしい自由な想像力に気付かされたのです。

ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ
そして三人目がムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(1927–2007)です。
20世紀を代表するチェリストとして知られ、その圧倒的な技巧とスケール感によってチェロという楽器の可能性を大きく押し広げた人物です。ショスタコーヴィチは彼のために《チェロ協奏曲第1番》《チェロ協奏曲第2番》を書き、両者の間には強い絆があったのでしょう。
ロストロポーヴィチの演奏には圧倒的な力強さと推進力に裏付けされた説得力があり、わたしたちが抱く「ショスタコーヴィチ像」の形成にも大きな影響を与えています。
実を言うと、ぼくの好みはシャフランの方の演奏です。ロストロポーヴィチの大きなスケールや圧倒的な推進力よりも、シャフランによる一つ一つのフレーズの意味や色彩、登場人物の心の動きを描こうとする芸術家としての感性に共感を覚えるのです。
いまとなっては、かないませんが、クバツキーの録音が残されていたなら、どんな演奏だったのか。
ショスタコーヴィチの《チェロ・ソナタ Op.40》は、単にチェロの名曲というだけでなく、クバツキー、シャフラン、ロストロポーヴィチという三人のチェリストを通して、その解釈や表現の広がりを見せてくれてました。
これこそ、クラシック音楽の醍醐味なのだろうと思います。